夜明けを、待つということ
Waiting for First Light
元日の朝、まだ暗いうちに山を上がる。撮ることより、待つことの方がずっと長い。 富士山頂に太陽が重なる、その一瞬を待っている。
場所は山梨県富士川町の髙下(たかおり)。新富嶽百景「日出づる里」と呼ばれる、ダイヤモンド富士で知られた斜面だ。冬至から元旦にかけての短いあいだだけ、富士山の頂と日の出がちょうど重なる。
いい時間帯は、たいてい寒い。手袋の指先が言うことをきかない。三脚はもう据えてある。あとは、その一瞬がこちらへ来てくれるのを待つだけだ。待っているあいだ、何を考えているかというと、実はあまり考えていない。撮る前のこの空白の時間が、わたしにとっては撮影のいちばん大事な部分なのかもしれない。

この作品集について
ここに置いた写真は、First Light Voyageという一連の作品集からのものだ。年のいちばん最初の光だけを、 何度か通って撮った。同じ頂の、違う一日を並べている。
撮り方はいつも決まっている。特別なことは何もしない。強いて言えば、これくらいのことだ。
- 暗いうちに上がって、立つ場所を決める
- 頂に光が乗るまで、ただ待つ
- ほとんど撮らない。数枚で足りる
迎えにいって、待つ
いい風景は、向こうからやって来るものではない。こちらが出向いて、そこで待つ。呼ばれるのを待つのではなく、迎えにいって、待つ。その順番だけは、いつも変わらない。
高村光太郎はこの眺めを「こんな立派な富士山は初めてだ」と言ったそうだ。文学碑の立つあたりが、いちばん頂と日の出が重なって見える。
見過ごされたものに、静かに光を当てる。派手な瞬間ではなく、 誰も見ていないあいだに起きていた小さな出来事の方を、撮りたいと思う。やがて、頂の右肩のあたりが温度を持ちはじめる。ここからは早い。数十秒で、太陽が頂の真上に立つ。シャッターを切る回数はそれほど多くない。ほとんどは、さっきまでの長い待ち時間の中で、もう決まっている。

数分もすれば、太陽はもう頂を離れて、ただの朝になっている。あの一瞬をもう一度と思っても、同じ光は二度と来ない。だからまた、次の冬のいちばん暗いうちに、この斜面を上がっていく。